合掌造りについて

合掌造りの民家と歴史

人々の生きる知恵が生んだ強固で合理的な建築

 

 合掌造り家屋は、全国でも五箇山と白川郷及び両地域に隣接する一部の山間部にのみ見られる独特の建築様式。「合掌」は、仏を拝むときに左右の掌を合わせた腕のかたちに由来します。五箇山では「叉首(さす)構造」と呼ばれる∧型に開き、頂部で緊結した2本の部材をガッショウと呼んでいて、1648年(正保5年)の記録にも、「かつしやう(ガッショウ)」の文字が残っています。

 まるで天に向かってお念仏の手を合わせるような合掌屋根が、五箇山の暮らしを守ってきました。現存する合掌造り家屋は約百年~二百年前のものが多く、古いものは四百年前に遡るといわれています。合掌造り家屋が完成したのは江戸時代中期からと推測されます。その頃、五箇山では養蚕が行われ、塩硝や和紙製造が加賀藩から奨励されていました。こうした仕事に適したスペースを確保するために、高層の合掌造りに発展したと考えられています。

 一階は、塩硝(えんしょう)や紙漉き場と住居。二階は、広い作業空間と採光、保温を求められた養蚕に使用されました。一階の天井は一部を除いて簀子(すのこ)張りになっています。いろりからのぼる熱気を通過させて、蚕室を暖める必要があったからです。また、いろりからの煙が虫除けとなり木材や茅葺屋根を長持ちさせました。屋根の勾配は急で六十度。断面は正三角形に近く、雪が滑り落ちやすい形です。この大きな屋根を支えるのは、根元の曲がったチョンナと呼ばれる太い梁。山の斜面に生育した自然に曲がったナラの木を用います。また、合掌の組み立てには釘は一切打たず、稲縄とネソと呼ばれるマンサクの木を使いました。山形に組み合わされた屋根の下地となる「合掌」(叉首(さす))の下端は細くとがっていて、桁の上に渡された叉首台「ウスバリ」の両端にあけられた窪みに差してあるだけで、地震や雪による屋根の重みにも柔軟に対応する仕組みになっています。

 屋根を葺く茅には主にススキの仲間のカリヤスが使われています。カリヤスは茅場と呼ばれる山の急斜面で栽培され、毎年、10月に刈り取りが行われ、乾燥し保存されます。春から秋にかけ、屋根の葺き替えが行われます。現在は森林組合が中心に、十五年~二十年ごとに葺き替えがおこなわれています。葺き替えのときに屋根からおろされた古い茅は、昔から田畑を肥やす堆肥として再利用されています。

 雪深い冬という厳しい自然に対応する強固な造り、さらに生活の場と生業の場をひとつにした合理的な建築。名もない人々の生きる知恵が生んだ偉大な発明、それが合掌造りです。